手足の奇病

◆象皮症に苦しむ人たち◆

 

LF(Lymphatic filariasis : リンパ系フィラリア症)、一般的には象皮症として知られるLFは、現在83ヶ国(感染地域は、主に、アフリカ・中近東・東南アジア・南米といった発展途上国)、1億2000万人が感染しているといわれています。

 

蚊を媒介にして伝染するこのリンパ系フィラリア症。血液内に寄生する糸状の虫、ミクロフィラリアの幼虫が蚊の体内に取り込まれ、成長して口吻に移動。ふたたび蚊が人間を刺すと感染、細胞の活性を促すリンパシステムのバランスを壊し、症状としては胸、四肢、性器や陰嚢のむくみ、浮腫となってあらわれます。同じく蚊を媒介にするマラリアと異なり、LFは命を奪うということはありません。しかしながら、醜く膨れあがった四肢や陰嚢は美観を損ね、人に大きな肉体的、精神的ダメージを与えます。

足に感染してしまった場合、足は普通の女性の数倍にも膨れあがり、動作は緩慢。質感は象皮症(elephantiasis)という名が示す通り、象の皮のようで、爪先には小さな瘤がたくさん出来ています。


家族のサポートがある人は恵まれていますが、多くの患者は、村八分にされるか、見世物にされてしまうという過酷な現実と闘っています。

 

【関連サイト】

 ・BBC NEWS 

 

◆両足義足のランナー・オスカー・ピストリウス

  

南アフリカ共和国ヨハネスブルグ近郊のサントンで、先天性の身体障害により腓骨が無い状態で誕生。生後11ヶ月時、両足の膝から下を切断。高校時代はラグビー、水球、テニス、レスリングなどを経験。ラグビーで膝を負傷し、最初はリハビリ目的で2004年1月、陸上競技を始めたそうです。

 

その後、いろいろな大会に出場。2004年9月のアテネパラリンピックでは、100m銅メダル(11秒16)、200m金メダル(21秒97)と輝かしい功績を残しました。

 

2008年の北京オリンピックに400mで出場を目指していましたが、国際陸上競技連盟 (IAAF) はカーボン製の義足による推進力が競技規定に抵触するとしてこれを却下。それでも負けずに、ピストリウスはスポーツ仲裁裁判(CAS)に持ち込み主張を続けたところ、2008年5月16日、IAAFの判断を覆し、健常者のレースに出場することが認められました。よって、参加標準記録(A標準45秒55、B標準45秒95)を突破すればオリンピックに出場が可能になったのです。

 

しかし、残念なことに、2008年7月16日、スイスで行われた競技会で400mに出場し、自己ベストとなる46秒25を記録したたものの、五輪参加標準記録を突破できず同種目での北京オリンピック出場を逃しました。(北京パラリンピックにて100m、200m、400mに出場、金メダル三冠を達成。)

 

その後も諦めずに挑戦し続け、400mでは2011年7月に45秒07、2012年3月17日に45秒20といずれもオリンピックA標準記録をクリアする結果を残し、8月には韓国で行われた世界陸上競技選手権大会に、健常者と共に出場。地道に努力を重ねた結果、南アフリカ・オリンピック委員会は2012年7月4日、ロンドンオリンピック陸上男子400mおよび男子4x400mリレーのメンバーにピストリウスを選出。両脚が義足の陸上競技選手では初めて、オリンピックへの出場を果たしました!!さらに、同オリンピックの閉幕後に開催されるロンドンパラリンピック陸上男子100m、200m、400m、4x100mリレーのメンバーにも選出。義足の選手では初めて、オリンピック・パラリンピックの双方に出場することが決まったのです!!ヽ(^o^)丿

 

そして・・・2012年9月1日、ロンドンパラリンピック陸上男子200メートル予選にて、21秒30の世界新記録を樹立し、決勝に進出しました。

 

彼のモットーは、"You're not disabled by the disabilities you have, you are able by the abilities you have."(障害によって不可能なのではなく、持っている能力によって可能なのだ。)

 

まさに、何年もの努力が実を結んで、偉大なる歴史を作った瞬間です!

 

【関連サイト】

 ・Wiki

 

◆まるでモップのような手足をもった男性◆

 

宇宙センターのある中国四川省西昌県に住む唐光喜さん。10代の頃から手足に疣状の角質が隆起。そのまま気にせずにいたところ、疣の上に疣がかさなり、画像のような墩布(モップ)状に成長したといいます。特にひどくなったのは1991年以降で、唐さんが結婚し、屠殺場(とさつ--家畜等の動物を殺す所)で働くようになってから暫くした後、靴は履けず、服も妻の介護なしには着られず、家にひきこもる生活となってしまいました。

これを知った北京市にある中日友好病院の皮膚科、汪晨主任は2005年4月より抗ウィルス剤を用いての治療を施し、7月には角質の切開もおこなって、唐さんは長年の夢だった天安門の見学にも行かれるように回復をみせました。


ウィルスは、子宮頸ガンで多く検出される人乳頭瘤病毒(ヒトパピローマウィルス : HPV16 E7)の異種。唐さんの職業が屠殺場ということから、動物たちから感染したのでは・・・との疑いもありますが、関係があるかどうかは不明です。

 

【関連サイト】

 ・まるでモップのような手足をもった男性

 

◆世界に20数例 残毀性遺伝性角皮病の女性◆

 

中国安徽省の農村に住まう李さん(仮名―20歳)は、真夏でも長袖に長ズボンは欠かしたことはありません。白く乾燥した手先の皮膚は厚く硬く、表面には蜂巣形に皮膚が剥け、指先は鋭く尖り亀裂が入っています。右手の親指は2本の指が癒着してひとつの指を形成しています。李さんの皮膚病は世界でも20数例しかないという奇病「残毀性遺伝性角皮病(魚鱗癬の異型)」 で、白人女性に多く、中国国内で見受けられたのは初めてといいます。

最初に発見されたのは1929年。以来20数例が報告されただけの病症は、遺伝子の変異がきっかけとなって発症するもので、皮膚角質の形成不全を引き起こし、皮膚そのものは緊縮、関節部は変成し、年齢が上がるにしたがってさらに乾燥し、はなはだしい例では指先の皮膚が四方からせめぎ合って亀裂を作るそうです。また、高周波の聴覚障害を伴う例が多く、若くして頭髪などが抜け落ちることもあるそう。

診察に訪れた李さんは手足のほかにも膝頭などに同様の症状があり、一日風呂に入らないと剥落した皮膚で床が真っ白になるほどだそうです。頭髪は既に薄いためにカツラを着用。家は農家の出で下には2人の妹がおり、これまでに掛かった診療費――今まで症状が確定されたことはなかったそうですが――で生活も困窮。今回の診察にも旅費を節約するため、乗り換え駅で宿をとらず、ひと晩構内で過ごしたそうです。


李さんを診た張錫宝医師の言葉によると、「こういった症状をもつ患者に比して、彼女は表情が明るいことがまず救われる。口のまわりを調べてやや脂っぽかったから、これは?と訊いたんだ。すると彼女、たぶんそれはお昼に食べた粥。口は拭いたつもりだったんだけどと笑いながら言ったよ。うまくいけば80%までは回復するかもしれない。右手の親指も形成しよう」 とのことです。

 

◆四つ足で歩く男性◆

 

中国重慶璧山県大興鎮連盟村という村に住む「竜詩禄」は飼っている水牛のように手足を使って歩きます。両足の障害は竜詩禄が8歳で麻疹にかかったとき、熱冷ましを打った母親が誤って彼の座骨神経を傷つけてしまったことに因みます。しかし現在、48歳の竜詩禄はこのことで運命を呪ったことは一度もなく、四つ足で歩くのは自分が牛といっしょにいるからだと言います。

両足の筋肉の深刻な萎縮は、彼に這って歩くことを余儀なくさせました。そのため、両の腕は通常の倍近くも太くなり、手の皮は厚く、針を刺しても痛くないと竜詩禄は言います。彼は生まれから靴というものを履いたことがありません。

 

野良の仕事ができないため、竜詩禄が水牛を飼い始めたのが今から30数年前。以来、彼は二間の家の大きい方の部屋に水牛を住まわし、我が子同然に育ててきました。水牛には村の子供たちを乗せるほか、毎年5月と10月に畑仕事に追われる村人に貸しだされます。貸し賃は一畝(6.7アール)耕すたびに百元、年になおすと竜詩禄は数千元の収入をこれで得ることができるのです。

しかしこの10月に水牛は仔を身ごもりました。収入を得るには貴重な時節ですが賃貸しはあきらめなければなりません。それでなくとも結婚せずに子供もなく、すべての感情を愛する水牛に預けてきた竜詩禄です。

晴雨にかかわらず、水牛に草を食べさせるため、毎日何里もの道をともに歩くという彼は、今回、水牛が孕んだことで、肉を食べるのをやめて節約したお金で卵を買い、水牛に栄養をつけさせています。さらにはトウモロコシ、カボチャ、サツマイモといった水牛の好物を煮込んだ粥も与えています。

水牛を育てる以外の生活で、彼の最大の趣味は魚釣りです。また小さな発明を行うのも好きで、彼の作った仕掛けは、釣り竿1本でいちどに50数キロ分の魚を釣り上げたことがあったことから噂が他の村にも伝わり、彼から釣りの教えを請う村人たちも増えてきました。

水牛が孕んで後、竜詩禄は水牛に乗っていません。そんな彼はいまは水牛の負担を減らすために自分の乗る車椅子をこしらえようとしています。

こうなってしまっても母親や自分の運命を恨まず、前向きに生きている彼は脱帽です。

 

国際在線(中)より転載】

 

◆足先が前後逆さまに付いている女性◆

 

中国重慶市に住むWang Fangさん(2007年当時27歳)は、足の裏が逆についている女性。Wangさんの足先が前後逆さなのは、生まれついてのもの。しかし、「とりたてて不便は感じない」と、障害者給付金を受けとることを拒みます。「だって私はほかの娘たちとくらべても足が速いし、それに仕事だってみんなと同じ。だから「障害者」ではないの」


Wangさんが生まれたとき、両親は医者にこの子は立って歩くことは難しいかもしれないと告げられたそうです。

しかしながら現在、彼女がひと以上に早く歩けることは誰もが認めています。

すでに1児の母。5歳になる男の子を育てながらファミレスでのバイトに励むWangさんですが、納得のできないお金はもらわないという健気さは彼女のこれまでの努力によって培われたものなのかもしれません。(右画像は靴も後ろ前に履くWangさん)

 

【関連サイト】

 ・足先が前後逆さまに付いている女性


 

◆四肢切断のパフォーマー◆

 

郭韋齊(2007年当時14歳)は、8歳のとき、学校から帰ってきた韋齊は風邪に似た症状から下痢と発熱。そのまま昏睡状態に陥って四肢が壊死。両親はすぐに病院に運びましたが、壊死した四肢を切断してもなお2週間意識がもどらずに、目を醒ましたときには病症も消えていました。原因はいまだ不明。突然、四肢を喪失した少女は、今では義肢をつけて歩行、自転車を漕ぐことまで出来るようになりました。

 

そして、2007年、台湾の台北中山記念館でおこなわれた身障者たちが演じる歌劇「二○○七弦月之美─身障人士才藝大展」に初出演。肘をつかってエレクトーンを奏で、またご覧のように傘を小道具としたみごとな舞いを見せて観衆の喝采を浴びました。

郭韋齊は、出演者のなかでは最年少ながら、その知名度は高く、それに応えるかのように幼い頃から学んだピアノと舞踊を喪った四肢で披露するさまは、まるで翼こそないものの妖精のよう。演奏したのは、「月亮代表我的心」と「雨夜花」の2曲で、それぞれ月を自分の心を映す鏡に見立てている彼女のいまの心境と、幼い頃から電話であれこれと想いを語らってきた親友に捧げたものといいます。

ちなみに・・・郭韋齊一家の座右の銘は、「有明天才是最美(明日こそが輝ける日とならんことを)」だとのことです。

 

【関連サイト】

 ・中国新聞網